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久しぶりに過去に連載した旅の話をまとめた

ひさしぶりに過去連載した旅の話をまとめた。
4話分だけど。

ちょうど2001年の10月に旅立ったので、この時期になるとあの頃のことをよく思い出す。

9月は、ほぼ毎日送別会。送別会のはしごさえした。
本当にありがたかった。


あの頃には今の自分がまったく想像できなかったけど、
まあまあ、旅の後もたのしい人生を歩んでいると思う。つらいこともあったけど。。。

世界一周にいこうと決めたときに、
一緒にいくことをOKした映子や応援してくれたまわりの人には
あらためて感謝したい。心から。
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エアコンのない生活

我が家では、極力エアコンを使わない。
2004年暮れに帰国してからだからもうすでに、
エアコンなしで5度目の夏となる。

エアコンを使わないのは、電気代がもったいなから。

というのは、うそで、長く世界を旅していたの間、
暑い国でもエアコンのない旅の暮らしをしていたので、
帰国してからもなんとなく、あまりエアコンを使わずに
だらだらと汗をかきながら過ごす習慣生活を続けている。

汗をかくことで、体の中の不純物が外出てくれるから健康にいいこと。
(いわゆるデトックス効果ってやつだ)

暑さの耐性ができていると、インドやパキスタンのような暑い国を旅したとき楽なこと。

この2つの勝手な思い込みが、
エアコンなし生活を継続させるモチベーションになっている。



実際に、僕たちは他の人たちに比べ暑さには耐性があるようだ。



会社には、自動で温度設定できない古いエアコン(冷房というべきかな)があるのだが、
僕が寒いと感じたときにスイッチを切るとひんしゅくを買い、
ちょうど適温だなと思っていると、誰かがエアコンのスイッチをいれる。

メトロの車内では、弱冷房車でも寒いと感じる。


そんな僕らですら、ここ数日の暑さには、さすがに寝苦しかったので、
扇風機をつけながら寝ることになった。

旅の間は、暑くてどうしも寝れないときは、寝る前に水をあびていたものだが
まだそこにはいたっていない。


ところで、昨年11月に生まれたばかり赤ん坊は、
生まれてはじめての夏をエアコンなしで過ごしている。
(今やバンコクより暑い東京で!!)


彼は、こんな熱帯夜の中、汗をだらだらかきながらもよく眠る。
その寝姿がなんともいじらしい(親ばか)、と思うとともに
尊敬に近い念すらいだく。



暑い国を3人で旅する未来・・・
親子3人川の字になって休んでいる汗だくのベッドの上、僕は夢見ている

ダライラマ講演会メモ

●20世紀は、物質的の発展が多くの人に望まれて、そしてそれを達成してきた。そして快適な暮らしができるよになった。
(一部そうでない国もある)
科学や技術で達成できた時代。


●物質的なものによる幸せには、限界がある。
(裕福な人はいあるが、そんな人でも心の中が不幸な人はたくさんいる。)
これからは、心を高めていって、良き変容することが大切だと気付いた人が増えてきている。



●宗教には、2つのタイプがある。
ひとつは、神の存在を信じている宗教
ふたつめは、神の存在を信じていない宗教

チベット仏教は、後者である。

さらに、後者には、2つのタイプがある
ひとつは、自我は存在している
もうひとつは、自我は存在していない

これが「私」というのが存在するかのごとく自分を捉えているがそうではない。



●心の平和と幸せを高めるためにはどうすればいいか。

誰も苦しみを望んでいないのに
なぜ苦しみというものがやってくるのか?
みんなが幸せを望んでいるのにどうして幸せになれないのか?

それは、無明からくる。

それは、苦しみの因を知らないからだ。
幸せの因を作ろうとしないからだ。


祈るだけでは幸せになれないし、苦しみは取り除かれない。


無明をはらすことが唯一の方法


●すべてのものは、他に依存して存在しているという本質をもっている。
幸せも苦しみも独立した存在ではない。原因がある

●縁起には2つある
1.因果の法 結果というものは、原因に依存している
2.すべてのものは、他のものに依存して、名前を与えられることによって存在する
 結果の依存している原因でさえ本質的には、結果にも依存している


●無明には2つのレベルがある
1.因果の法を正しく理解していない→世俗レベルの無明
2.すべてのものは、他のものに依存して、名前を与えられることによって存在する
  →究極のレベルでのもののありようを正しく理解していない。

苦しみそのものは、けっして独立しては存在しない。

まちがったものの考え→苦しみの因

原因を自分自身で取り除く必要がある

幸せを得る原因は何か、自分自身で気付く必要がある。


●私たちは、因に支配されている。自分の意志によって支配されているのではない。


●他人に不幸な思いをさせると自分にもそれがはねかえってくる
他人を幸せな気持ちをさせると自分自身が幸せを得ることができる

心と体のおこないで、やってはいけないことを10個決めている。


●空:それ自体の力で独立した存在はこの世にはない。名前を与えられただけの存在。
執着や怒りの心も、その対象を独立したものと捉えてしまうが、そうではないことを理解すべき。

知恵というものは、利他の考えによって支えられている




●苦しみには、2つのレベルがある
1.肉体的のレベル
2.精神的なレベル

●満足感にも2つのレベルがある
1.肉体的なレベル
2.精神的なレベル

●精神的な平和は物質的なものからは得ることができない。

●21世紀は、楽観的にみている。
今世紀は、平和に基づいた平和な社会が築かれる
今世紀は、こころの中に幸せを得る感心が高まってきている。

●心の中に幸せな気持ちがある時、健康が良好に保てる。
家庭の中も平和になる。そうすると社会も平和になる。

●愛情と慈悲の心を持って暮らすことがいいことだということが多くの人が認識されてきている。


我々は、他人によって依存することによって生かされている存在。
人とやさしく接することによって、よりよく生きていける。お金では買えない。

●愛情と思いやり・慈悲の心を持っていれば、正直で安定的な人間になれる。
それがよりよい信頼関係が築ける。すると、よりよい家庭が築け、よりよい社会となる。

●愛を高める方法
1.神を信心をもとに愛を高める。
2.無神教の人たち:因果の法則に基づいた考え方で愛を高める。
3.世俗的な方法で愛を高める。

●愛情と思いやりが最も大切。はぐくんでいかないといかない。

●すべての人は、母から生まれてきた存在として、母の愛情に育まる。
愛は体の中に必ず宿っている。

●母の愛をたくさんもらった人は、他人に愛をもって接することができる。
そうでない場合、愛をうまく出せない場合もある。

(会場から質問:子供の時に愛情を与えられずに大人になった場合はどうすればいいのですか?)
愛情というものに自分をなじませることによって、少しずつ変化をおこすのは可能。


●自分の中に、愛があると、体の中の免疫力が高まる
自分の中に、怒りや恐怖心があると体の免疫力が低下する


●世俗の倫理観による『愛』を高める。

●誰もが愛が必要。



●自分によくしてくれる人、メリットを与える人に、愛情をそそぐ。
そうでない人には、怒りの心がある。
これは、執着に混ざって存在する愛である。

●偏見の存在しない愛が必要。
→相手がどんな態度をとろうが関係なく、どのようなことをしてきても関係ない、敵のような存在にも
関係なく与える愛のこと。

この愛を知性を持って育てる必要がある。

敵の様な存在の人も、苦しんでいるひとりの人間であるということを理解したならば、怒りもいくぶん鎮まるのではないか。
意図的に自分の心を訓練する必要がある。

●すべて国が相互依存しあっている
→自国のことだけ考えていてはうまくいかない時代になっている

●自国の人を「私たち」、異国の人を「彼ら」といって、「私たち」と「彼ら」の間にはバリアが存在する。
こういう考え方は時代遅れである。こういう考えがあるとうまくいかない。

●世界はひとつと考えていかなければいけない

●ひとつの国は、お互い依存しあっていきているということ理解しなければいけない


●他者のために問題を考える。そういう広い視点で物事を考えると、
自分の容量が増えて、自分の悩みを乗り越える力になる


●急に大きな変化は、難しい。
継続的に、よりよくする努力することで
少しずつよりよい変容がおこる


あらためてみると

ブログのサイドバーにあるツイッター欄をあらためてみると、
なんのことだか、さっぱりわかりませんね。

ツイッターをはじめたころ、勝間和代さんのつぶやきを見ていて、
何をやりとりしているんだか、さっぱりわからず、
こんなもののどこが面白いのか?
と疑問に思ったときのことを思い出した。

慣れる前と慣れた後では、ツイートの見え方もだいぶ違う。



今、ツイッターをやっている時に、僕の頭の中に出てくるイメージはこうだ。


「大きな体育館のような会場で、開かれた飲み会。」


それは、いつ参加してもいいし、退席してもいい。

勝手に話に参加してもいいし、脇で聞いていてもいい。

同じテレビ番組をみながら、やいのやいのお互いつぶやくのもよし。


リアルな世界での知り合いもいるんだけど、(僕の場合)そこにいるのは、ほとんどが知らない人で、
知らない人が、僕のつぶやいたことにリアクションを返したり、ツッコミをいれたりする。


たとえば、僕が「おやすみ」ってつぶやくと
何人かから(会ったこともない人)、「おやすみ~」って返ってくる。
これは、不思議であり、驚きであり、実はちょっとした感動だったりする。

先日のサッカーのイングランド戦などでは、
テレビ見ながら、みんながつぶやく。もちろん僕もつぶやく。
それらが、画面に次々と現れる。

このライブ感は、なかなか楽しいものだ。

テレビを見る際、
パソコンを開けながら、または、iphone片手に、
見ながらツイートする人は、今後ますます増えていくに違いない。


日本のツイッターユーザーも16%を超え、いよいよミクシィを超えた。
一過性のブームでなく、しばらくは続きそうな気がする。


ということで、ツイッターアカウント持っている人、これからはじめる人
フォローミープリーズ
http://twitter.com/wwkawa

実験

久しぶりにブログの管理画面をみたところ、
ツイッター上でつぶやいた内容を1日単位でまとめてブログにアップする機能が
このブログ(FC2)に備わったらしい。

たいしたい内容のツイートしかしていないが、
試しにやってみようと思う。


ツイッターとブログの違いは、
情報の即時性とその賞味期限だと思っていて、
わずか数分で流れ去ってしまうツイートが、
ブログになることでどうなるのか、ちょっとみてみたい。

それと、ツイートを集めるて、それをそのまま日記とするのは、
日々の記録をとる手段としては、楽だ。
読む人には、つまらないかもしれないけど・・・数少ない、数人の読者の方ご了承ください。
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